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6月, 2017の投稿を表示しています

生活点描 / お友達の素晴らしいお嬢さまと一冊の本の誕生「認知症の私は記憶より記録」

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こんにちは&はじめまして MUSICA YOROZUです 6月23日金曜日 ステキなことがふたつありました 小学校時代のお友達が お嬢さまと近くまでいらしたから と 立ち寄ってくれました 彼とは2年前に小学校卒業以来 ン十年ぶりに再会 私がロビーコンサートの活動してるのを知って ナマピアノでうたえるお楽しみライヴ やってみたら?って 後押ししてくれたり なにかと支えてくださってます お嬢ちゃまは高校生 お二方と主人と私 4人でTEA TIMEにくりだしました みんなでケーキセット 美味しいコーヒーひと口 あああ ソーサーのうえにスプーンがあるのに その上にカップを置こうとする主人・・・ あ、あぶないよ そう そんな時 「大丈夫だ!」と言いながら ひっくり返してしまうのがパターン だめだよ~ その時 何も言わずに お嬢ちゃまがすっと手をのばして スプーンをどけてくれたの ほんとうになにげなく さりげなく そのまま 何事もなかったみたいに むかしのお話が続いて なにげなく さりげなく そして 見てください 主人の満足そうな笑顔 素晴らしい一瞬でした たくさんの感謝 彼のご家庭の素晴らしさがうかがえます 帰宅すると 本がとどいていました           クラウドファンディングに協力させていただいた 大城 勝史さんの本です クラウドファンディングが実った! 若年性認知症の大城勝史さん、本完成 24日から書店販売 「抗グルタミン酸受容体抗体脳炎」から 若年性アルツハイマー病へ ご苦労と不安を冷静に分析 そして とどまることのないチャレンジが まっすぐな言葉で綴られた 素晴らしい本でした この本の出版に 微力ながら協力させていただけてホントに光栄だ と 思いました そして そして もしも 主人自身のことばで

食事療法で認知症に挑む / 脳は身体の一部

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こんにちは&はじめましてMUSICA YOROZUです 若年性アルツハイマー病 中期にさしかかり 生きがいだったオーボエの演奏を奪われていく音楽教師 ゆるやかに変化していく日常は見知らぬ世界へ 同行二人旅の記録となります 様々なタイプがあり それぞれの症状がある若年性アルツハイマー病において 私たちが体験する実例その9 渡れない川をはさんで 私には主人から見えている世界を正確に知ることができず また 主人の方からも私のいる世界を把握することがむずかしくなる そして 二つの世界をへだてている川は時とともに幅を増していくのはさけられない 毎日欠かさないオーボエの練習 川の向こうから届く音が たくさんの情報を伝えてくれています 音楽が伝えてくれる変化を言葉に置き換え 行くことのできない世界を想像して 汝の身体は汝の食べたもの 現在 アルツハイマー病は根本治療が不可能な不治の病とされている 進行抑制の薬の投与 それ以外にすることがないのか 症状によって不便になりがちな生活も 主体的に行動を続けることによって「工夫」や「慣れ」で いくらかとりもどすことができるとは オーボエの練習を見ていての実感である 効果があるかないかはさておき 毎日当たり前にできて 毎日の楽しみならば 良い人生だといえるではないか 脳は身体の一部 運動や趣味の活動などで活性化することは 脳の血流をよくしていることだろう 血流は 脳に酸素を届け 脳の活動に必要なエネルギーを届け・・・ 身体の細胞は365日 食べたものを材料にして入れ替わっているのだから 食べたものを材料として脳の細胞だって新しくピチピチの細胞に入れ替わってはくれないものだろうか 実は・・・新しい細胞 生まれているらしい ではきっと擦り傷が治るように ダメージを受けた脳も??? そこは 今研究が進んでいるところらしいけれど 主婦レベルのアタマで思いつくこと 子どもたちが幼稚園に上がるときに 家庭の教育方針についての記入欄があった そこに 「しっかりと 寝て しっかりと食べて しっかりとウンチをすること」 と 書き込んだ それは子どもたちの身体を守り育

認知症簡易検査 MMSE項目から考えた音楽活動の効果について

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こんにちは&はじめましてMUSICA YOROZUです 若年性アルツハイマー病 中期にさしかかり 生きがいだったオーボエの演奏を奪われていく音楽教師 ゆるやかに変化していく日常は見知らぬ世界へ 同行二人旅の記録となります 様々なタイプがあり それぞれの症状がある若年性アルツハイマー病において 私たちが体験する実例その8 渡れない川をはさんで 私には主人から見えている世界を正確に知ることができず また 主人の方からも私のいる世界を把握することがむずかしくなる そして 二つの世界をへだてている川は時とともに幅を増していくのはさけられない 毎日欠かさないオーボエの練習 川の向こうから届く音が たくさんの情報を伝えてくれています 音楽が伝えてくれる変化を言葉に置き換え 行くことのできない世界を想像して らしくないアルツハイマー病 多くの人がイメージするように アルツハイマー病は老年期に多く発症する 40代で発症することが自体がまれなことなのだ 65歳以下で発症する若年性アルツハイマー病は アルツハイマー病全体の10%程度 またさらに 「言語障害を主な症状とするタイプ」は記憶障害が初期症状の典型的なアルツハイマー病の10%程度 目の前にある現実が私たちにとっての100%なのだが それは全体からすると1%の現象だという 自宅でMMSE MMSEとは、Mini Mental State Examination(ミニメンタルステート検査)の略で 認知症の疑いをもっとも簡単に発見できるもの サイト検索すると MMSE|認知症テストの問題点と採点方法(使い方) MMSEが認知症の可能性を判定するものであるのだから 検査項目には何をもって認知機能というかの考え方が反映されているはずである 解説もあり 日時・場所に対する見当識 / 言葉の記憶と遅延再生 / 計算 / 物品呼称 / 復唱 / 口頭による3段階命令 / 書字理解 / 自発書字 / 図形描写 となっている これらの項目を見ると なるほど と思う 認知症とは これらの活動をつかさどる機能が何らかの障害ををうけて機能不全に陥っているということなのだな

生活点描 / 練習風景

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若年性アルツハイマー病 中期にさしかかり 生きがいだったオーボエの演奏を奪われていく音楽教師 ゆるやかに変化していく日常は見知らぬ世界へ 同行二人旅の記録となります こんにちは&はじめまして MUSICA YOROZUです 音楽オタク だありんとMUSICAの日常は 基礎練習 & 個人練習 & 合わせ練習 まずは基礎練習 若干変形してます 拍子が所々で2倍にのびてます 書いてあるのと違う音吹いてます キーのないところをおさえてます (当然変な音になります) それよりなにより 唇の筋力がよわってきたのかな? アンブシュア(唇のフォーム)のキープがむずかしいです でも そんなこと関係ないですね 毎日 没頭できることがあってよかった すごく集中してますもんね コンサートで使う曲は MUSICAがつくります 右手の指は1本だけ あとは全部左手しか使いません より血流が不足しているのは左半球なので 不思議ですね 左手は複雑な動きも大丈夫 まだ 今のところはね 少ない変化の中に叙情性を盛り込んで ドラマも感じられる展開ある方が 印象はっきりして覚えやすいかなって思ったんだけど ちょっと長すぎたかもしれません 視奏 集中できる時間がちょっと減ったかな なかなか通して吹ききれない つぎ作るときは ちいさなパーツをたくさんにして おしゃれな間奏とか入れて 集中 しんどくないように なかなかむずかしいなあ できるかな 新しいことを覚えるのはしんどいはずなんです それでもこうして だんだんと覚えてくれてます コンサートまで あと1か月 おしゃべりするより オーボエの方が雄弁です 言葉では表現できないこと 音が映し出してくれてると思います みんなで若年性アルツハイマーな生活を理解しようの会 下記リンク 興味をもっていただけましたら ぜひともご参加ください みんなで若年性アルツハイマーな生活を理解しようの会

アルツハイマー病 診断直後の課題 ・待ったなし!人格の回復と社会的な再生への取り組み

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こんにちは&はじめましてMUSICA YOROZUです 若年性アルツハイマー病 中期にさしかかり 生きがいだったオーボエの演奏を奪われていく音楽教師 ゆるやかに変化していく日常は見知らぬ世界へ 同行二人旅の記録となります 様々なタイプがあり それぞれの症状がある若年性アルツハイマー病において 私たちが体験する実例その7 尻尾をかんだ蛇 脳機能の低下によって引き起こされる症状を自覚するのも脳機能である アルツハイマー病にかかった脳は自らが破壊されていく危機感を感じ続けることができない ダメージがダメージの存在を意識の中から消していく へびが自らの尻尾をくわえ 自らをのみこんでいくように 1億総活躍時代? 認知症患者の増加はいまや社会問題である 介護福祉費の増大だけでなく 労働人口にも打撃を与えることになるのは少し考えれば納得できること 患者本人のみならず、介護家族の社会的時間が著しく制約される 現役世代で発症する若年性認知症患者1に対しなんらかの影響を受ける労働人口は当人含めて2以上 本当に認知症患者は社会の重荷でしかないのだろうか? 子育て世代を労働力として引きずり出そうとしている現在 もう少し真剣に考えてもいい問題だと思う 社会人として 主人の生活 やり直しは増えているが これといった日常生活の不便はない状態で 毎日が過ぎている 布団をあげ 雨戸をあけ 着替えて お気に入りのCDをかける 新聞をとってきて一枚一枚めくり ゴミの日と廃品回収日には外回りの掃除 思いつくままに たっぷりの時間を使って一日の活動をこなしていく 何の不便もない いっしょに生活していても 大して違和感はない 時間内に高パフォーマンスを争うことは無理だろうが 社会人としての生活から締め出される必要がどこにあるのだろう? お互いに低パフォーマンスを承知で それに見合った労働力と考えることはできないのだろうか 低コストで若い人材を使い倒そうとする労働構造 労働全体に求められる 不自然な「高パフォーマンス」のイメージを考え直すきっかけにならないだろうか 二つのパラドックス 個別にみれば 診断後も環境配慮で働き続けられ

それ以前にオモロイから

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リコードファイター MUSICA YOROZUです 現在 曲折はありますが維持&回復の路線をキープ リコード プラス α、β、γ、努力継続中です。 2017年6月に公開の記事に2018年10月、追記。 当時、なすすべなく進行するだけだったアルツハイマー病 ReCODEプロトコルへの取り組みを始めようとしていたころの記事です。 現実に進行抑制 回復へと向けることがでた貴重な記録だと思います。 こんにちは&はじめましてMUSICA YOROZUです 若年性アルツハイマー病 中期にさしかかり 生きがいだったオーボエの演奏を奪われていく音楽教師 ゆるやかに変化していく日常は見知らぬ世界へ 同行二人旅の記録となります 様々なタイプがあり それぞれの症状がある若年性アルツハイマー病において 私たちが体験する実例その6 尻尾をかんだ蛇 脳機能の低下によって引き起こされる症状を自覚するのも脳機能である  アルツハイマー病にかかった脳は自らが破壊されていく危機感を感じ続けることができない ダメージがダメージの存在を意識の中から消していく へびが自らの尻尾をくわえ 自らをのみこんでいくように アルツハイマー病とともに生きる じりじりと進行していくアルツハイマー病 行きつく先は脳機能の消失による 生活 そして命の危機なのだが 今日 明日にどうなるものでもない 来週 来月 急変は考えにくい たとえばあと5年の月日が見込めるとする 5年間 毎日絶望のため息をつき続けるのは 実はとてつもないエネルギーと集中力を要する 1年ではどうだろうか 嘆き続ける根気があるとすれば大したものだ そんなところにエネルギーをかけ続けるのはまっぴらごめん 大抵の不治の病がそうであるように どこかで「受容」することになる さらに当人は認知機能の低下にともなって 絶望も恐怖も時間とともにうすれていく 病とともに生きる(普通の)日常生活がやってくる 日常とはなんだろう 当然のことだが「日常生活」という絶対的なものは存在しない その時々の個人的な 身体的な条件 経済的な条件 社会的な条件etc.の影響下での時間の流れとでもいうべきだろうか